映画「不能犯」の感想やネタバレ!

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「不能犯」の制作年度

2018年

レンタル視聴

「不能犯」のあらすじ

主人公である宇相吹正(以下宇相吹)は、依頼者の願った望み通りの死を請け負う人物です。

その依頼人の願いが純粋でなければ、依頼人にまで不幸が訪れます。

宇相吹の力が唯一通用しない人物が、女性刑事の多田友子(以下多田)です。

いつも不可解な事件現場に宇相吹が出没し、多田は不能犯であることを確信します。

宇相吹の力で、依頼人の殺意が純粋でなかったことから、多田の周辺にたくさんの事件が続出するのです。

宇相吹を止めることができるのは、宇相吹の力が通用しない多田だけです。

そして、その止め方とは、多田が宇相吹を殺すことしかありません。

そんな中、連続爆破事件が多発します。

その犯人は、実は多田が以前ある事件で逮捕した川端タケル(以下川端)でした。

川端は、多田の前では更生して料理人の仕事を一生懸命しています。

多田もそのことにとても満足していました。

実は、これは川端が更生したフリをして、多田をおとしこむための罠でした。

川端は、町中のビルや多田の同僚が入院している病院、そして近くの保育園に爆弾をセットしていました。

多田は、川端の術中にはまり、その爆破場所をどれにするかの選択を川端から迫られます。

その状況を楽しんでいたところに、宇相吹が現れます。

川端と同じ店で働いている先輩料理人である櫻井俊雄が、宇相吹に川端の殺人の依頼をしたのです。

そして、宇相吹が川端を殺そうとします。

その時に宇相吹は多田に刺され、力が途切れ完全には川端を殺すことはできませんでした。

しかし、多田が去ったあとに、宇相吹は川端を殺すことができ、爆弾による被害で一人も死者をだすことはありませんでした。

結果、宇相吹に助けられた多田は、やはり宇相吹を止める術がありませんでした。

そして宇相吹の正義と多田の正義が言葉となってぶつかりエンディングを迎えます。

「不能犯」で印象に残ったシーン

人間にはだれしも、人生に一人くらいは殺したい人間がいたことはあると思います。

その原因が、完全に知っているなかでの殺意なのかと言われたら、実際には、ある角度からしか見ていないことも事実です。

宇相吹は、相手をマインドコントロールすることで、事故や自殺といったやり方で依頼された人間を不能犯という手口で叶えていきます。

しかし、実際には、依頼人がすべてを把握しての殺意ではなく、そこには別の真実があって、宇相吹に依頼した後にそのことに気付かされます。

宇相吹はそれさえも分かっていて、いつもその現場に現れてこう言います。

「・・・愚かだね、人間は」

私は、もし宇相吹のような人物が存在したならば、過去に殺意を持たせたその人間を殺すことを頼んでいたかもしれません。

そう考えると、やはり人間は愚かです。

今となっては、その時の殺意はどうでもいいことです。

完全な悪人がいればですが、その存在は天文学的数字くらいに小さく、だれでも不完全な人間のなせる業だと思わされます。

そういった意味では宇相吹の存在は、その不完全な人間に、本当に殺してもいい人間なんていないという提言をしているようにも見えます。

殺意という、人間のあると特定の時間と場所に発生するものが、実は不完全な真実の上に存在しているということを理解できない人間を、宇相吹はいつも憐れんでいるようにも思えます。

できるならば、宇相吹は、宇相吹自身の力を使うことを望む人間がなくなる世界を望んでいるのかもしれません。

それは宇相吹自身が放つ一言「・・・愚かだね、人間は」に秘められているように思うからです。

「不能犯」の全体の感想

不能犯という特殊な殺人をテーマの作品に強く惹かれました。

主人公である宇相吹は、自分のために人を殺すのではなくて、他人の欲望である殺意のためのその力を解放するのです。

宇相吹の存在と多田の存在は光と影のような存在で、そのベクトルが真逆なところがおもしろかったのです。

人間には常にどこか、誰にでも言えない影の一つや二つは持っていると思うのです。

だからそこの時点で、この映画をみた我々は、宇相吹の世界に引きずり込まれていると言えるのです。

私が完全な善でないかぎり、宇相吹から解放されることはありません。

唯一、宇相吹の力が通用しなかった多田も、これから先にどのような試練や苦難が待ち構えているのかわかりません。

しかし、多田は、どんなことも信じる、例え裏切られても信じると決心しています。

もしその決心が本物ならば、やはり唯一、宇相吹を本当の人間として解放してあげられる、止められるのは多田しかいない気がします。

そんな人材は皆無に等しいですが、完全な悪がなければ完全な善が存在しません。

この映画のメッセージは、宇相吹が放つ「・・・愚かだね、人間は」という言葉に集約されていることでしょう。

そういった意味では、不完全な人間の真実を映し出す鏡のような映画であったと思います。

「不能犯」で気になったところ、もやもやしたところ等

宇相吹が突如映画に現れます。一切の経歴は明かされません。

それだからこそ、実はこの宇相吹は人間ではないのかもしれません。

この一切の宇相吹の情報が相手をマインドコントロールできる力の持ち主だということしか与えていないところに、神秘性を見ることができます。

マインドコントロールは、実際の思い込みを自在に操れる一種の心理術だと私は思っています。

一人の人間があくびをすれば、その周りの人間もあくびをします。

そのようなことを、宇相吹は眼力一つでそれをなしてしまうのです。

その描写は特に美しくもあります。

人間の殺意をCGで表現するとそろぞれの殺意はこのように見えるのかと思うと、思わずぞくっとする瞬間でもあります。

宇相吹のような、すごく平等な人間ほど、純粋な人間はこの世界にはいないようにも感じました。

どんなに殺意をもっても、その殺意が純粋なものなのかどうかは、だれにでもわかりません。

しかし、宇相吹はそれを知っているのです。

それゆえに、その依頼者とその相手とは相殺するような形でいつも片付けています。

宇相吹はもちろん人間です。

その証拠に多田が宇相吹を刺したときにダメージが与えられました。

「・・・愚かだね、人間は」というところに、もしかすると人間ではない存在なのかなと思うところでもありますが、それは違うようです。

ある種の人間の煩悩も含めて達観した領域にいる存在であろうと想像できます。

この宇相吹さえも誰かのマインドコントロールを受けているのかもしれません。

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