日本とロシアでは、「終戦時期」に対する意識が違う!?
そもそも、北方領土問題が起こったきっかけは、第二次世界大戦の終戦間際にロシア(当時のソ連)が取った行動が元になっています。
時系列を追って見てみましょう。
1945年8月6日、日本はアメリカから原子爆弾を広島に落とされ、甚大な被害を受けました。
その直後の8月8日、これまで中立の立場を保っていたソ連が態度をひるがえし、連合国側(アメリカ・イギリスなど)側の味方に付いて日本に対して攻撃を開始したのです。
史上最悪の兵器を使われた上に、大国ソ連まで敵にまわったことで、日本は終戦を決意し、8月14日に「ポツダム宣言」を受諾、15日には有名な玉音放送(天皇による終戦宣言)が流れました。
それにも関わらず、ソ連は8月15日以降も、満州や朝鮮半島、樺太(サハリン)での戦闘を継続し、同時に千島列島(クリル諸島)への攻撃も開始したのです。
その後、ソ連は8月18日~9月1日にかけて千島列島の島々を北部から制圧していき、一番南の国後島までを制圧、残った歯舞諸島は9月3日~5日にかけて制圧したと言われています。
これは、日本からすれば「終戦後も侵略を続けるなんて、まるで火事場泥棒じゃないか!」と言いたくなるような展開ですが、実はソ連側からするとそうとも言い切れないのです。
なぜなら、日本が正式に敗戦を認め「降伏文書」に調印をしたのは9月2日、有名なミズーリ号の調印式でのことなので、ソ連からすれば「9月1日までは戦争は終わってなかった」ということになります。
日本人的には8月15日が終戦日ですが、ソ連的、いや国際的に見れば9月2日が終戦記念日だったのです。
この意識の違いが北方領土問題を長引かせる原因の1つとなっています。
ただし、3~4日(5日とする説もある)に掛けて、ソ連軍がその場の勢いで歯舞諸島を制圧したことに関しては、違法な侵略とみていいでしょう。
ソ連はなぜ対日参戦したの?
終戦間際になってソ連が日本に牙をむいた背景について詳しくみていきます。
元々日本は、1938年から始めた日中戦争のさなか、アメリカやイギリスとの関係が悪化していることを懸念し、ソ連を味方につけるために「日ソ中立条約」を結んでいました。
1941年にアメリカ、イギリスに対して宣戦布告した後も、まさかソ連が「中立条約」を破棄して参戦してくるとは思っていなかったのです。
最初のうちは快進撃を続けていた日本軍も、1943年の夏ごろには風向きが悪くなりはじめ、戦線が後退し始めました。
一方、ソ連は徐々にドイツ戦に勝てるようになってきていました。
1943年10月にはアメリカ、イギリス、ソ連の3ヵ国による外相会談が行われ、アメリカはソ連に対し「クリル諸島(千島列島)の引き渡し」をチラつかせながら、対日参戦を促します。
これに対しソ連の外相は、「連合国側(アメリカ・イギリスなど)がドイツのヒットラーをやっつけてくれたら、対日参戦するよ!」という趣旨のことを語ったそうです。
そして、1945年2月11日、ついにアメリカ、イギリス、ソ連の3ヵ国が参加した首脳会談(ヤルタ会談)が行われ、これまで口約束だった「ソ連の対日参戦」「クリル諸島(千島列島)の引き渡し」が「秘密協定」として正式に調印されました。
日本が知らないところで、ソ連はクリル諸島(千島列島)をゲットするために、連合国側の味方についてしまっていたのです。
日本が戦局を見誤り、いつまでもソ連が中立でいてくれると思い込んでいたのも悪かったのかもしれません。