ポツダム宣言後もソ連がクリル諸島(千島列島)を攻めたのはなぜ?
1つ目の理由としては、先ほども述べましたが「ソ連的にはまだ8月15日には「終戦」していなかったから」です。
実際、8月14日の時点では、ソ連軍と日本軍の境である「満州」「朝鮮半島」「樺太」では戦闘の真最中で、連合国側から停戦命令は出されていませんでした。
そして、2つ目はもちろん、「ヤルタ会談での密約があったから」です。
ソ連がいよいよクリル諸島の制圧を始めようとした際、アメリカとソ連の間では、以下のようなやり取りがあったそうです。
そもそもアメリカは、ソ連の社会主義勢力が日本を侵食していくことを恐れていたため、クリル諸島への攻撃開始間際になって「満州とサハリン(樺太)、朝鮮半島保育38度線より北(現北朝鮮)だけを占領しよう」とソ連へ提案しました。
しかしソ連は、「ヤルタ合意はどうなった!?クリル諸島は全域いただきます!なんなら北海道北半分も占領しますけど!?」と突っぱね、アメリカの抵抗を黙殺。
さらにアメリカは「クリル諸島は制圧してもいいけど、クリル諸島にはアメリカ軍の航空基地を作りたいなぁ」と食い下がりましたが、ソ連はそれも全力で拒否、クリル諸島全域の制圧を土壇場で完了させました。
「北海道の北半分がロシアって!?オイオイ(笑)」と、驚かれた方もいるかもしれませんが、それだけ日本は追い込まれていたのです。
日本は、「日本本土(北海道・本州・四国・九州(沖縄は含まない!)以外の諸々の小さい島々の帰属については連合国側にゆだねる」というポツダム宣言を受諾した立場であり、その連合国側には土壇場に参戦したソ連も一応含まれているわけですから、仕方がなかったのかもしれません。
サンフランシスコ平和条約で日本は「千島列島」を放棄した?

戦争が終わった後は、仲直りをしなければなりません。
第二次世界大戦場合、仲直りのお約束は1951年に締結された「サンフランシスコ平和条約」でしたが、ここにもロシアが北方四島を自国のモノと主張する根拠があります。
サンフランシスコ平和条約第二条には、はっきりと「日本国は、千島列島(クリル諸島)並びに樺太の一部(南部のこと)、これに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄すること」が書かれているのです。
当時、日本の代表として会場にいた吉田首相は、「択捉と国後の二島は『千島南部』であること」「色丹と歯舞諸島は日本の本土である北海道の一部であること」を主張しましたが、そのような文言は条約には盛り込まれませんでした。
国際的には、択捉、国後、色丹の島々はクリル諸島の一部という見解は揺るがず、日本もこの平和条約に調印し、国会でも批准されています。
ここ数十年、日本は「サンフランシスコ条約で破棄した”千島列島”には北方四島は含まない!」「北方四島は日本固有(どこの国にも侵略されたことのない)の領土である」「北方領土問題に関しては、四島返還が絶対!」という考えが主流でした。
しかし、当時の首相ですら択捉、国後を「南千島」と表現し、千島列島の一部であることを認めていたわけですから、これからはロシア側の主張にも耳を傾け、認識を改めていく必要があると感じます。