工場街のコリアンタウンで母妹とアパート暮らしだった川崎時代
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東山さんの少年時代の思い出は自身の著書『カワサキ・キッド』で赤裸々に語られています。
放蕩な父が原因で東山さんが3歳頃に両親が離婚。
その後は理容師だった母と妹、親子三人、コリアンタウン近くの古いアパートで貧しいながらも家族で助け合いながら生きてきた東山少年。
ロシア人の血をひく祖父は脳の病気でほとんど動けない状態だったため、世話は彼の仕事だったといいます。
「じいちゃんのリズム。そこから僕は、大切なものを知った」
そう語っている東山さんにとって、この時代に生活の中で学んだ、人のもつ「リズム」はその後の仕事や人生にとても大きな意味をもつものなんでしょうね。
ジャニー喜多川との運命の出会い、そして芸能界
東山少年が芸能界に入るきっかけとなったのは、ジャニー喜多川氏(現ジャニーズ事務所社長)のスカウトです。
渋谷スクランブル交差点で偶然通りかかり、ジャニー氏と東山さんは運命の出会いを果たしました。
そして、芸能界入り・・・1982年に少年隊のメンバーとして『仮面舞踏会』でデビューしています。
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その後の東山さん、少年隊の活躍はみなさんご存知のとおりですね。
現在ではダンスが上手で、お芝居からバラエティーまで万能選手なイメージの東山さんですが、実はデビュー前はとてもダンスが下手だった時代があるそうです。
ずいぶん昔、何かの番組でその当時の映像を見たことがありますが、たしかに下手でした。
やっぱり、東山さんはストイックなんですね(笑)