徹子さんの小学生時代、戦争の真っ只中でした。その頃があったから今の自分があると言う徹子さん。いったいどんなエピソードがあったのでしょうか?

スルメ欲しさに旗を振った後悔
徹子さんが自由が丘の学校、トモエ学園に通っていた頃です。戦争に行く兵隊たちを見送るために、多くの人が駅に見送りに行き「万歳」と叫んで日の丸の旗を振る慣わしがありました。
駅で兵隊たちを見送っていると、スルメの足が1本ずつ配られたそうです。まだ幼かった徹子さんは、スルメをもらうためだけに兵隊たちを見送りました。そのときのことを、後に徹子さんはこのように話しています。
今、思い出してもあの時、子どもが一生懸命、旗振ったんで『頑張ってくるぞ』って思って戦争に行った人がいて、もしその人が戦死して帰ってこなかったとしたら、なんて自分はね、罪深いことをしたってね。ものすごくそのことでは本当に戦争責任を自分でも感じてね、そういうことでもやはりすべきでなかったってね。
徹子さんが芸能人になり、テレビで「犯した罪についてあの責任を感じている」と当時のことに触れたことがありました。その放送を見て、早速反応が。
私は戦争に行って兵隊になって、それでいろいろ傷ついて帰って来た。
それからずっとね、日本の政府を恨んで、誰も責任取ってくれない、この戦争に行ってね、死んだ人、そして自分のようにこうやって帰ってきても、
何もしてくれない人間に対して一体なんだっていうんで、ずっと人を恨み、国を恨み、そういうふうにしていたんだけど、今日のあなたがね、
そんな小学生でいながらね、その旗を振ったこと責任感じてるっていうのを聞いた時にね、なんか自分のいままでの悩みがすっと消えてね、一生涯悩んで人のこと恨んで生きていくのかと思ったけど、こんな子どもだった人も思ってるんだと思ったらね、今日からそのことは思わないことにしました
徹子さんの話を聞き、言うに言えない感情を長年隠しておいた方の心が楽になった瞬間だったのでしょう。
徹子さんが、メディアで発言することの影響力の大きさを感じますね。